夏季宿泊研修会 |
教育講演会 演題「開かれた学校」づくりで子どもの豊かな学びをどう保障するか 〜「開かれた学校」づくりの新たな胎動〜 |
講師 葉養正明先生(東京学芸大学教授) |
1.学歴社会からの脱出 |
25年前の中教審で出てから学歴社会から生涯学習への移行が叫ばれたが、受験の厳しさは弱まった気がしない。 学歴より実力主義へと言われたが変わったかどうか怪しい感がある。今ペーパーテストが重視されている。それに適した教育が強まる中、環境的には都会が有利である。 |
2.学校のあり方検討会 |
人間の力は、ペーパーテストだけではないだろう、という考えから中央区が学校に何を望むかをアンケートしたところ、「道徳」「耐える力」をつけることを求めている事がわかった。 |
3.義務教育の質保障 |
今までよりも質の高い教育を提供するにはどうしたらよいか。 学力向上路線に力が入っている今デスク上だけではないとわかっているが、私立に流れている子の割合が多くなり何かおかしいとはわかっている。学生がお客さんになり、それに対するニーズに答える形になってしまっている。都内では、私立流出にも拍車がかかり、公立は難しい対応に迫られている。 |
4.質の高い学校づくり |
質の高い学校作りに不可欠な要素として開かれた学校がある。では、質を高めるときに、どうして開かれた学校作りを考えるのか。 現在までの実践で7つに絞られる。 @学校施設開放 A複合化(複合建築の中に学校やデイケアセンターなど) B地域人材の活用(NPOや大学、企業との連携) C職場体験学習 Dインターネット、テレビ会議システム E保護者、地域住民が参画 F学校教育と地域教育との連携協力 ・昔は家庭・地域でしつけをしており,学校をサポートする力になっていた。 ↓ 核家族・母子家庭の激増(家庭の教育力を期待できない) ・小1プロブレム→家族の形が変わり,地域社会の形も変わり, 学校への期待に変わっている。 ↓ 道徳心の育成を学校に期待する。 倫理観,耐える力をつけて欲しいと希望 しかし,学校に入る前に育てるべきで 入ってからつけるものではない。 ・様々なものを学校が受け入れて,はたして質は高まるのか? 忙しいと浅くなり,深さを失う。 ・これからの教員→コーディネート機能が必要〜教師は核(コア) 地域の力をうまく使うコーディネート力が教員に求められている。 しかし,若い先生は今の子どもと同じで,コーディネートは不得手 ・学校教育への役割・期待が大きくなっている。 学習の保障は学校しかできない。→学びの豊かさをどう取り入れるか。 ・親の価値観の多様化,子どもの多様化→学校と地域・家庭との橋渡し 保護者を取り込むのがうまい橋渡し役の先生→教育プラットフォーム事業 ・地域の教育拠点としての働きを果たすために,地域の人材を使う開かれた学校 どんな若い先生でもうまく地域を利用できるプラットフォームづくり ・サポートネット事業(小平市のすべての小中学校・小平市の市民16万人) サポートする市民ボランティア のべ10万人 市民が無償で学校をサポート,具体的にサポート内容・役割を示す。 例:何月何日何時間目の理科の授業のボランティアを募集など 木更津市もこうした学校づくりを始めている。 やり方しだいでどんな地区でも可能 |
5.これからの教員 |
地域の力をうまく使うコーディネート機能が求められる。教師はコア(核)となる必要がある。現在、親の価値観の多様化によって子供も多様化し、 若い先生に負担がかかっている。その陰には、うまい橋渡し役、コーディネーターがいないという現実がある。そこで、学校と地域・家庭との橋渡しとして教育プラットホーム事業があげられる。 |
6.開かれた学校 |
開かれた学校のキーワードとして「外部人材の活用・インキュベーション(孵化)」があげられる。インキュベーションとは、外部人材が入り込むことにより学校のスリム化と新しいものが孵化する可能性が大きい。さらには、教員だけの関係では、生まれないあたらしいものを孵化させる可能性が大きいのである。そのためにインキュベーター(孵卵器)を意図的に入れる。それによって学校一つ一つ力を高めることになる。また、刺激を受けることで教員一人一人も力を高められるのである。 |
7.学校に降り懸かる課題 |
たとえば食育などもその一例である。本来このような物は学校の仕事ではなく、家庭教育の受け持ちであった。現在のような社会の状況から学校はどのように親に働きかけるかが課題である。そのために学校の力を高める必要がある。それが開かれた学校づくりである。 そのためには、「自分のチャンスがここにある」と気づかせていきたい。その方策として体験的な学習の必要性があげられる。なぜなら若者の夢・希望がさめてきているからである。時間はかかるだろう。しかし、開かれた学校を目指さなければやっていけないと思うのである。 |